ギャラリー三日月(函館市弥生町)が11月30日、閉店した。函館のアートシーンを支えてきたギャラリーの10年間を振り返る。
ギャラリー三日月は、築130年前後の土蔵がある木造建築物の中にあった。前身は1880(明治13)年創業の宮田質店。ギャラリーの代表で建築士の池井一季さんと運営を務める吉岡希代美さんは2009年6月から、この建物を借りている。
この年、函館市内ではアートフェス・ハコトリ実行委員会が「廃屋クリーニングアクション」(HCA)の活動を始めた。HCAの取り組みは、「街に増え続ける廃虚廃屋も、もし窓がきれいだったら街の印象が変わる」との思いを原点として、使われていない建物を清掃するもの。同時にハコトリの展示会場も募集した。「会場を提供すれば清掃してもらえる」という条件は、150坪ほどもある建物の再生に奮闘していた池井さんと吉岡さんにとって願ってもない好機だった。
2009年8月、元質店はアートフェス・ハコトリ(第1回ハコダテトリエンナーレ)の会場の一つとして新たな産声を上げた。後に三日月がギャラリーとして歩むきっかけとなる一歩だった。ハコトリ実行委員会はHCAでの空き家再生活動が評価され、同年「第7回日本都市計画家協会賞」(NPO法人「日本都市計画家協会」主催)の北海道支部賞に選ばれた。
2009年12月、「ギャラリー三日月」として正式オープン。カフェと作家の作品が並ぶショップとを併設したギャラリーとなった。
路面から見て、向かって左の蔵は明治建築で質屋だった部分がギャラリーになった。その奥のカフェになった場所は、かつて住居で、1916(大正5)年築。カフェの上階は池井さんの設計事務所となった。向かって右は最も新しく、昭和になってから改築されており、ショップへと生まれ変わった。
月1回ほどのペースで展示内容を変え、オープン以来10年間で延べ100人近くのアーティストの作品を展示してきた。展示を楽しみに訪れる客も多く、「ギャラリー」として知られるようになっていった三日月だが、吉岡さんは「実は最初は雑貨店だけにするつもりだった」と笑う。「自分がいいと思ってそろえた物を、同じようにいいと感じてくれる人が買ってくれる。感性を共有できるのがショップの醍醐味(だいごみ)」と言う。客からのリクエストを吉岡さんが作家に伝え、それを受けて生まれた作品が主力商品になったときはとてもうれしかった。
お金を払えば誰にでも空間を貸すという貸し画廊ではなく、良いと思う作家のみの作品を展示した。だが、白い平面壁ではない蔵の展示室では、蔵の雰囲気が作品に力を貸すこともあれば、逆に作品が蔵の主張に飲まれてしまう経験もした。吉岡さんは作家を選ぶに当たり、徐々に作品と蔵との相性を強く意識するようになっていった。
自分の感覚を信じ、「私が見たい作品は、きっとみんなも見たいだろう」という姿勢で臨んだ。吉岡さんに見いだされ、初個展を開いた作家も多い。2013年に自身初の風景写真だけによる写真展をアマチュアカメラマンとして開いた函館市内在住の青山弘志さんは2017年、2019年と個展を重ね、現在では地域情報誌の表紙写真を担当する写真家として活躍している。「三日月がなかったら写真展をこんなに開くことはなかった。蔵の雰囲気と写真がマッチし強く引かれた」と振り返る。
美術館や地域のアートイベントとも積極的に関わってきた。2012年に開催された若手作家による「EXHIBITION U40s in GALLERY MIKADUKI」展は、道立函館美術館の展示「道南美術の21世紀<いま>と<これから>」展とのタイアップ。2009年に続き2012年・2019年に複数会場で同時開催された函館のトリエンナーレの会場の一つになるなど、道南でのアート作品発表の場として、しっかり根を張ってきた。今年開催された「はこだてトリエンナーレ みなみ北海道を旅する芸術祭」では会場提供のほか、吉岡さん自身も実行委員会の共同代表を務め、企画全体をコーディネートした。
タイアップ展当時は道立函館美術館に勤務し、現在は道立近代美術館で学芸企画課長を務める大下智一さんは「函館にはほとんどレンタルギャラリーしかない中、企画画廊としてギャラリストが自分の目で見て自分の責任で選んでくれる貴重なギャラリーだった。函館のアートシーンを活気づけてくれた」と評価する。
「はこだてトリエンナーレ」が「第18回日本鉄道賞特別賞」受賞
そのほか、2010年にグラフィックデザイナー隅田信城さんが、かつて函館市大町にあった写真評論家の津田基さんが主催するギャラリー「リモール」との2カ所展の会場に三日月を選んだり、函館市在住の陶芸家、石川久美子さんと苧坂恒治さんが、大阪府在住の画家山口武史さんと美唄市の彫刻美術館「アルテピアッツァ美唄」で開催した三人展の、函館巡回展の会場に選んだりするなど、作家らからも一目置かれるギャラリーになっていった。
国際色豊かな展示も手掛けた。2010年にはドイツ人芸術家の故ヨーク・クリストさんと画家・波多仲芳晴さんの二人展や、2011年に米国出身のジョン・ランナーさんの展示、2013年にオーストリア出身のハイモ・ヴァルナーさんと米国出身のへディア・クラインさんの作品展、2016年にはマカオ出身で世界的に活躍する札幌在住の芸術家シーズン・ラオさんの写真展を開き好評を博した。
道南の作家たちへの刺激になることを心掛け、地元以外の作家の展示も積極的に行ってきた。
歴史を経た木造建築では毎年冬季は底冷えがするため、店を休業する。本当は、今年もいつものように冬に店を閉め、誰にも言わず春になっても再開しないことで静かに幕をひこうと思っていたという。閉店を決めた理由は、10年間続けてきたことへの一区切り。「1年持つかな、3年持つかな、10年できたら御の字だよねと思いながらやってきた」と吉岡さんは振り返る。
コーヒーチケットのあるなじみ客や、ショップで作品を扱う作家など連絡の必要な人々にだけは閉店を伝えた。そうした中、「最後はみんな知りたいと思う、知らせた方がいい」という声に押され、11月11日、公式ツイッターで控え目に知らせた。カウンター3席、2人掛けのテーブル2卓、6人掛け2卓あるだけのカフェ。最後だからと騒ぎになって混み合うのではなく、訪れた人にはゆったり過ごしてもらえる空間でいたい思いとの間でせめぎ合いもあった。
11月25日、閉店まで1週間を切った。徒歩5分ほどの距離にある「元町ホテル」オーナーの遠藤浩司さんは「寂しくなるね」と口にしながらも、カウンター越しの吉岡さんと何気ない話で談笑し、そこには、いつもの風景があった。
11月26日、閉店まであと5日。閉店を知って店を訪れた七飯町在住の主婦の鳥羽恵さんは開口一番、「会いに来たよ」と吉岡さんに声を掛けて席に着いた。三日月の良さは「だらーんとできるところ」だと言う。カウンターでカップを傾けながらくつろぐ。古いスピーカーから流れるジャズが、会話に花が咲けば意識から消える程度の音量で優しく響く。
吉岡さんにこれまでで最も印象に残っている展示を尋ねると、「どの展示も全て大事だけれど」と前置きした上で、2014年8月の彫刻家・首藤晃さんの展示を挙げた。「蔵の2階まで届く迫力のある立体作品で、素材は鉄なのになぜか海や生命を感じさせるような想像をかき立てられる作品だった」という。
最後の展示は、今年10月の写真家徳丸晋さんの個展「minamo」。最終営業月となった11月は作品展ではないが、近所で「雑貨工房杉屋」を営む杉本浩一さん所蔵の骨董(こっとう)品を展示販売した。
蓄音機がエジソンによって発明されたのは1877(明治10)年。展示されていた蓄音機マーベルは、1926(大正15)年から昭和初期に販売された日本製の蓄音機。三日月の建造物が作られてきた時代とほぼ重なる。蔵の中で蓄音機が奏でる音は、昔のままでこの時代にまで届けられたような趣のある響きだった。
開店からの10年間、ほぼ毎日三日月に通っていた杉本さんは「ここに来るといろんな人に会えて、いろんな話をしたもんなぁ。ここが俺の人生の後半で一番楽しかったんじゃないかなぁ」と目を細めた。
函館市地域交流まちづくりセンターに勤める榎本洋輔さんも「ふらっと寄ると作家や旅行者、いろんな文化人とも知り合えた」と杉本さんと異口同音。カフェを訪れたお客さんが作家と共にコーヒーを飲んで語り合うなど、人との出会いがいつもここにあった。
最終日の11月30日、開店から常に誰かが訪れ、遠くは室蘭や青森、関東からの来客もあった。最後まで店に残った10人ほどの客と集合写真を撮った。涙こそなかったが、なかなか散会にならず、皆が店を出たのは閉店から30分ほどたってからだった。
10年間、ギャラリー三日月としてあった建物は、遠からず大家の手に戻る予定だ。吉岡さんは店内備品を整理し、12月中旬から備品処分市を開く。今一度、店のシャッターが開くが、備品が無くなり次第終了となる。
最後の夜の月齢は3.5、三日月を少し過ぎていた。12月になった。朝が来ればいつものように扉が開き三日月の時間が始まる、そんな気が今でもするが、看板は下ろされた。三日月が函館に残したアートと文化を通じた人と人とのつながりは、この街でどのように受け継がれていくのだろうか。
旅立ちを迎えた吉岡さんに今後を尋ねた。「美術・文化・教育に関わることができれば理想だけれど…」と夢を口にしてから、「生活面も考えて、新しい仕事を探したい」という言葉で結んだ。10年間の区切りに立って、未来へと、しっかりと前を見つめていた。
(文・紀あさ+函館経済新聞)