今春に廃業を予定していた、100年以上にわたる歴史を持つ道内最古の写真館「旧小林写真館」(函館市大町)が6月1日、美原で再出発する。同館が3月4日、発表した。
小林写真館は1902(明治35)年、神戸出身の写真師、小林健蔵が現在地で開業。1907(明治40)年の函館大火で焼失した後、1908(明治41)年に再生された。1962(昭和37)年に廃業したが、木造2階建の旧写真館の建物は残り、1989(平成元)年3月1日、函館市の景観形成指定建築物に指定。2008(平成20)年に函館市住宅都市施設公社が、西部地区の空き家を住居や店舗として利活用する事業の一環で改修。改修費約1,500万円の内訳は、函館市の補助金が765万円、補助金分以外は7年間の賃貸料で回収することとした。
2009(平成21)年に、「フォトスタジオタニスギ写楽館」(見晴)店主の谷杉アキラさんが借り手に名乗り上げ、「小林写真館」の名を継いだ「旧小林写真館」を営み始めた。開館時には建物の所有者で、健蔵の孫に当たる忠男さんから、小林健蔵さんが特別な撮影の時に着用していたえんび服や、かつて写真館で使われていた法被が贈られた。谷杉さんは「旧小林写真館」での撮影の際はえんび服をまとってシャッターを押す。窓や階段などは建設当時のままの姿、建物の雰囲気に合わせた衣装や、骨董(こっとう)品も取りそろえた。レトロな雰囲気が好まれ、10年間で訪れたのは約400組。俳優の大泉洋さんなど著名人も訪れ、再訪客も多かった。
市住宅都市施設公社との賃貸契約は今年度いっぱいまで。谷杉さんは継続を強く望んだが、公社は年度末までで物件の管理を終えるとし、賃貸の継続はかなわなかった。いったんは3月末での閉店としたが、卒業や入学に伴う記念撮影の多い時期での閉店がはばかられたこととから所有者と相談し、閉店を5月10日に延ばした。
「自分で作ってきた場所だから、幕引きも自分の手で」と覚悟をしていた谷杉さん。だが閉店を知らせると周囲から惜しむ声が多く、10年間で撮影した人から手紙や写真がたくさん届き、谷杉さんは「小林写真館」を残すことを決意した。フォトスタジオタニスギ写楽館の建物内の一部に「旧小林写真館」内にあったものを全て移管し、6月1日、新たな「小林写真館」として再出発する。
フォトスタジオタニスギ写楽館は同建物内で継続し、1つの建物内に2軒の写真館が並ぶことになる。同写真館は地元密着で折々の記念撮影に訪れる家族が多い。「写楽館のお客さんは、お客さんというより遠い親戚だと思っている。代々訪れてくれ、僕の祖先からずっと撮り続けている」と言う。
歴史をさかのぼると、フォトスタジオタニスギ写楽館は、初代が1939(昭和14)年に幕末期の写真師・田本研造の五稜郭の写真場を譲り受けたことに始まる。函館は写真発祥の地とされ「写真の街」といわれることもあるが、函館写真史の中で重要な位置を占める写真師・田本研造の歴史と小林健蔵の歴史とが、3代目谷杉さんの時代に函館の美原で交わることになる。
谷杉さんは「本流に支流が合流して大河となり、いよいよ大海原へ向けてこぎ出すイメージ」と話し、「地球上にこんなすごい写真館があるのかと驚くほどの新写真館を作りたい」と決意を込める。
初めて日本人により写真撮影されたのは1841年6月1日。新たな小林写真館が始動する6月1日は、日本写真協会の定める記念日「写真の日」で、フォトスタジオタニスギ写楽館が美原での15周年を迎える日でもある。